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アメリカ アリゾナ ロンドン・ブリッジ

更新日:2020年12月28日


こちらは、「アリゾナ州・レイクハバスシティ」の「コロラド川」の途中にある「ハバス湖」から「トンプソンベイ」に至る人造運河に架かる、長さ280mの「ロンドン・ブリッジ(London Bridge)」です!

〖アリゾナ〗と〖カリフォルニア〗の州境に位置する「レイクハバス」に、「イギリス・ロンドン」にあるはずの「ロンドン・ブリッジ」が架かっていることをご存知でしたでしょうか?湖畔にある町「レイクハバス市」の人達は「この町には世界最大の骨董品があるんだ!(We have the world’s largest antique!)」と自慢します。

今回は、〖ロンドン〗からはるか1万キロも離れた「アリゾナ」の地に、どのような経緯で「ロンドン・ブリッジ」が架かることになったのか、その話をご紹介させていただきます。

【マザーグスの童謡:ロンドン橋落ちた】

「ロンドン橋落ちた」の歌を聴いたことはありますでしょうか?英語では「London bridge is falling down」で始まる、「マザーグースの童謡」です。

実際の「ロンドン橋」は名前の通り、「イギリス」の「ロンドン」にあり、吊り橋型で有名な「タワーブリッジ」の「テムズ川」の数百メール上流にかかっています。

最初に「ロンドン橋」がかけられたのは13世紀、その後火災で橋が崩壊し、その時の様子が歌になったと伝えられています。

そして、今から280年前の1831年に御影石を使った「ロンドン橋」に架け替えられましたが、年々交通量が増えていったため、渋滞緩和策として1904年に橋の幅が広げられました。

ところが、自動車の時代になるとさらに交通量が増えていき、その結果1962年頃には何と実際に「ロンドン橋」は交通量の重みで下に沈み始め、歌の模様が再現されてしまったのです。

〖London Bridge is falling down, Falling down, falling down.London Bridge is falling down, My fair lady.〗

〖ロンドン橋が落ちていく.落ちていく.落ちていく、ロンドン橋が落ちていく.マイ・フェア・レディー〗

この後の歌詞は、木と土で作り

、それも落ちたので、レンガで作り、それも壊れて、鉄で作り、鉄が曲がると、金銀で作り、金銀で作ると、盗むやつが出るから、門番をつける・・・と続きます。

どうしてこういう歌が出来たのかの謎解き説は色々とありますが、今では「オードリー・ヘップバーン」のミュージカルのタイトルとしても有名な「マイ・フェア・レディー、美しい貴婦人」は誰を指すのかにも、諸説あります。

【歴史】

「ロンドン・ブリッジ(London Bridge)」の最初は、ローマ人により西暦46年に架けられた木製の橋でした。

そして1013年に「スヴェン1世」率いる「デーン人(デンマーク)」たちの侵略から守るために、「ノルウェー」の王「オーラヴ2世」によって橋は破壊されました。

この当時イギリスは、「ノルウェー王」に支配されており、その橋は架け直されたのですが、1091年に暴風雨で破壊され、さらに1136年には火災により焼失してしまいます。

そして、「ロンドン・ブリッジ(London Bridge)」の管理者であり、司祭であった「ピーター(Peter de Colechurch)」によって、1209年「ジョン王」の時代に33年もの月日を経て、長さ300m、幅7m、水面から高さ10mの石造りの永久橋として建設されました。

この石橋には南側にはね橋があり、中程には「聖トマス礼拝堂」も建てられ、1533年には「ヘンリー8世」のローマ協会からの分離による宗教改革により、「ロンドン・ブリッジ」にあった「礼拝堂」が取り壊されました。

その後この石橋でも、地震や洪水などで何度か流れ落ちましたが、その都度改修・再建がなされました。

そして橋が次第に老朽化し、600年以上長く使用されたため「ジョン・レニー(John Rennie)」により、283mの新しい石橋が1831年に完成しました。

現在の「ロンドン・ブリッジ(London Bridge)」は、建築家の「ジョン・モウレム(John Mowlem)」により、1973年に7年かかって架けられました。

現在の女王である「エリザベス2世」によって盛大な開通式が行われた橋でもあります。

このように、この橋には様々な経緯があり、マザーグース「ロンドン橋」にも歌われるようになったのです。

ロンドンにある多くの橋の中で、日本でも最も有名な橋であると言ってもいいでしょう。

〖建設から売却まで〗

オリジナルの「ロンドン・ブリッジ」が「テムズ川」に建設されたのは、今から170年余りも前の1825年から1831年のことで、日本では江戸時代・11代将軍徳川家斉の時代でした。

5つのアーチでできた橋は、「イギリス」の「ダートムアー」地方から出る御影石で作られており、全長280m、幅15m、当時としては大変大きく立派な橋でした。

1902年から1904年にかけて、増える交通量を緩和するために工事が行われ、橋の道幅が広げられました。

そして、それから約60年後の1962年、ますます増えた交通量で重くなった「ロンドン・ブリッジ」は、なんと「テムズ川」に沈み始めていることが発見されたのです。

沈み始めた橋をどうするか、長い討論がされた結果、沈み行く「ロンドン・ブリッジ」の売却案が浮上し、ロンドン市議会はそれを可決してしまうのです。

沈んでいく橋を売りに出したところで、買ってくれる人などいる訳がない。とロンドン市民の誰もが思ったに違いありません。

ところが「 ロバート・マックロック 」たった一人だけその入札に参加したのです。

〖パーカー・ダムの建設とレイクハバスの誕生〗

3年の歳月をかけて遥々「イギリス」から運ばれてきた「ロンドン・ブリッジ」は、1934年から1938年にかけて米国連邦政府によって、「コロラド川流域開発」の一環として「コロラド川」に「パーカー・ダム」の建設を行いました。

元々「パーカー・ダム」が建設された一帯は「モハビ砂漠」の一部で、何もないところでした。

ダムの建設により、サファイアブルーの美しい湖が誕生し、「モハビ砂漠」周辺に住んでいる「ネイティブ・アメリカン」の部族「ハバス族」の名前から「レイクハバス」と名づけられました。

1950年代に入って、「レイクハバス」の名が徐々に広がり、レクリエーションを求めて集まる人が出てきました。

そこで連邦政府はその湖周辺を民間企業の力で開発しようと考え、連邦政府所有の土地を1エーカー(1200坪)を78ドル(当時の為替計算で2万8千円)という安価な値段で売りに出したのです。

そして、それに飛びついたのが「ロバート・マックロック」という投資家でした。

彼は湖の周囲(アリゾナ側)を広範囲にわたり買い占め、彼の開発のもとに1963年に「レイクハバス市」が誕生します。

「マックロック」は連邦政府からただのような金額で得た土地を分譲し、売却するために南カリフォルニアに住む金持ちに焦点を合わせ、飛行機代から宿泊代、食事も含むバケーションを無料で提供し、分譲した土地を次々と売却していきました。

今でもタイムシェアのコンドなどを販売するときに見られる「プロモーション方式」です。

最初の1年間で稼いだ金額はなんと数百万ドルだったとされ、数年後「レイクハバス」が満水になると湖の真ん中に大きな島ができました。

その島をさらにリゾート地として開発しようと考えていた「マックロック」はその島と町を結ぶ「橋」が欲しかったのです。

とにかくなんでもいいから、何かユニークな話題性のあるものを町のアトラクションにしたいと考えていた矢先に耳にしたのが「ロンドン・ブリッジ」売却の話だったというわけです。

〖ロンドン・ブリッジがレイクハバスへ〗

「ロンドン・ブリッジ」が沈みはじめたのを発見してから6年後の1968年、「マックロック」しか入札しなかった「ロンドン・ブリッジ」は246万ドルで落札しました。

そして更に、700万ドルをかけて現地まで解体した橋を輸送しました。

「テムズ川」に架かっていた「ロンドン・ブリッジ」の1つ1つのブロック(御影石)に番号がつけられ、橋の解体作業が始まりました。

「世界最大の骨董品」は船で1万6千キロの長い道のりを船で幾度にも渡って運ばれ、つけられた番号通りに再建設されたのです。

その輸送と再建設にかかった年数は3年、その費用は700万ドル(約25億円)に及んだそうです。

1971年10月10日、オリジナルの「ロンドン・ブリッジ」が「レイクハバス」に架けられ、献納式が行われました。

橋の周りには「イングリッシュ・ビレッジ(英国村)」が作られ、ショップやレストランなどロンドンの雰囲気がそのまま楽しめる一帯となりました。

「マックロック」は「レイクハバス」の湖岸にイギリス式の町を造り、訪れた人がロンドンにいるのかと錯覚するような魅力的な町並みを完成させたのです。

雰囲気だけではなく、実際にレストランで出されるメニューや味付けもまさにイギリスそのもので、イギリス料理を楽しみながら、本物の「ロンドン・ブリッジ」を眺めると、そこはまるで本当に「ロンドン」にいるかのような錯覚に陥りますよ。

〖コロラド川とレイクハバス〗

全長2,334kmのアメリカでも屈指の大河、「コロラド川」の支流は「ロッキー山脈」に始まり、〖ユタ州〗・〖アリゾナ州〗を経て、〖アリゾナ州〗と〖カリフォルニア州〗の州境を流れ、「コルテズ海」に流れ込みます。

「コロラド川」は広大な「コロラド・プラトー(台地)」を侵食しながら流れ、悠久の時を経てあの雄大な「グランドキャニオン」を作り上げました。

その一方で、「コロラド川」はアメリカ西部及び南西部の開発に大きく貢献し、その周りに広がる大都市の「フェニックス」・「ラスベガス」・「ロサンゼルス」に電力や水を供給し、その地域に生活する1,000万人を超える人々の生活の基盤となりました。

また、「コロラド川」には主に5つの「ダム」が作られています。

上流から順に「レイクパウエル」を作った「グレンキャニオン・ダム」、「レイクミード」を作った「フーバー・ダム」、「レイクモハビ」を作った「デイビス・ダム」、そして「レイクハバス」を作った「パーカー・ダム」、そして「インペリアル・ダム」です。

【レイクハバスシティについて】

「レイクハバスシティ」は、アメリカの〖アリゾナ州・モハベ郡〗の都市で、人口は約53000人。

「ルート66」の〖アリゾナ州〗と〖カリフォルニア州〗の州境の位置します。

元々は「モハベ・インディアン」の本拠地で、「レイクハバスシティ」は1978年に市に制定されました。

「レイクハバス・シティ」の町は、第二次世界大戦中に「レイクハバス」に出来たアメリカ陸軍航空隊休養キャンプとして始り、1963年に「ロバート・P・マカロック」が計画都市として設立されました。

〖アリゾナ州〗と〖カリフォルニア州〗の境にある「コロラド川」を利用し、「パーカーダム」がある人口の湖で、貯水池の利用可能容量は764,000,000m3あります。

「コンクリートアーチダム」は、1934年から1938年の間に水源と川の氾濫をコントロールする為建設され、「マカロック」は「ピッツバーグポイント」と共に「ハバス湖」東側の土地14 km²を購入し、「ピッツバーグポイント」は半島部だったが後に島に変えられました。

また、観光客はつねに数万人いるといわれ、南カリフォルニアに住む億万長者達の巨大な別荘がたくさん建っている町でもあります。

「レイクハバス」は全長72km。湖岸線が広がる「レイクハバス州立公園」ではボート遊びやジェットスキー、キャンピングなどのアクティビティが楽しむことができ、周辺にはゴルフ場も豊富にあり、中でも「ロンドン・ブリッジ・ゴルフ場」はおすすめのゴルフ場です!

【アクセス】

「レイクハバス」は「ラスベガス」から車で約2時間半、「フェニックス」からは3時間、「キングマン」から南へ約1時間半のところにあります。

これらの主要都市からアクセスされる場合は、「レイクハバス」を満喫するためにも1泊か2泊の宿泊するのがおすすめです!

いかがでしたでしょうか。

歴史ある「ロンドン・ブリッジ」に、美しいロンドンを街並みが広がる「レイクハバスシティ」をご紹介しました。

「レイクハバスシティ」では、国際ジェットスキー・ファイナルレース、多くのプロ釣り競技会、手作りボートレガッタ、ウェスタン・ウィンター・ブラスト花火競技会、ハバス95スピードウェイ、ハバス・トライアスロン、ハバス・ハーフマラソンなども開催されており、訪れる人を魅了します。

「アリゾナ」や「ラスベガス」へ観光の際は、是非とも「ロンドン・ブリッジ」を見に「レイクハバスシティ」へ訪れてみて下さい!

【基本情報】

ロンドン・ブリッジ(London Bridge)

住所: 1340 McCulloch Blvd, Lake Havasu City, AZ 86403

電話: +1 928-855-5655

全長: 930 ft

着工: 1967年

建設: 1971年10月

場所: レイクハバスシティ

場所: ハヴァス湖

※記事内容は執筆時点のものですので、最新の内容をご確認ください。

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