- 私の旅行記
アメリカ フロリダ アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム
更新日:2020年12月28日

こちらは、アメリカの偉大な作家「アーネスト・ヘミングウェイ」をたたえた場所「アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム」です!
アメリカで最も愛されている作家と言っても過言ではない「アーネスト・ヘミングウェイ」。我々日本人でも一度くらい耳にしたことがある超有名作家です!
そんな「アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム」は、 西約5.5km・南北約2.5km・人口約2万3000人のアメリカ最南端の地「キーウエスト」にあります。
〖アメリカ〗を北上し〖カナダ〗との国境沿いの街「フォート・ケート」まで続く、「US1(国道1号線)」の起点&終点の地であり、「アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム」をはじめ、「サザンモストポイント」など有名観光スポットが集う場所です。
【アーネスト・ヘミングウェイの博物館&自宅について】
〖アーネスト・ヘミングウェイ博物館〗

「アーネスト・ヘミングウェイ」の博物館と自宅は、どちらともダウンタウンの「ループ地区」から西へ行った「オーク・パーク」にあり、お互いに歩いてすぐの場所にあります。
「アーネスト・ヘミングウェイ博物館」では、1954年にノーベル文学賞を受賞した大ベストセラー作家の人生について詳しく知ることができます。
幼少期の日記や青年時代の貴重な写真、初恋の相手、看護師の「アグネス・フォン・クロウスキー」が送った別れの手紙など、初期作品の一部も展示されており、「ヘミングウェイ」のトレードマークともなった簡潔な文体がどのようにして構築されたかを見ることができるのです。
ショップにはお土産やポスターだけでなく、「ヘミングウェイ」の本も数多く売られています。
〖アーネスト・ヘミングウェイの自宅〗

「アーネスト・ヘミングウェイ博物館」を出ましたら、今度は「ヘミングウェイ」の自宅へ向かいましょう。
「ヘミングウェイ」は1899年に生まれてから6歳まで、ここで暮らしていました。家を建てたのは「ヘミングウェイ」の祖父母になります。
豪華な「ビクトリア様式」の装飾は大切に修復され、〖シカゴ〗でも特に歴史の古い「オークパーク」の住宅には、似たような「ビクトリア朝」の建築様式が目立ちますが、「フランク・ロイド・ライト」の設計による住宅とは、大きく様式が異なることに気づくでしょう。
「アーネスト・ヘミングウェイ」の博物館と自宅は、ダウンタウンから西へ16キロメートルほど離れた場所、「キーウエスト」にあります。
どちらもガイドツアーを行っていますので、より分かりやすく「アーネスト・ヘミングウェイ」について知りたい方はツアーに参加することをおすすめします!
博物館と自宅は、「アーネスト・ヘミングウェイ」について深い知識のある博物館のスタッフによって運営されています。見学には少なくとも1時間はかかります。
※10人以上の団体の場合は予め予約が必要になります。
【アクセス】
「アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム」は、アメリカ最南端「サザンモストポイント」から徒歩約10分の場所にあり、「オリビア・ストリート」と「ホワイト・ヘッド・ストリート」が交差する地点に位置します。
街からは徒歩でもアクセス可能です。車で訪れる場合には、近くにある有料駐車場を利用することができます。
また、「キーウエスト」へ行く際は、「世界一美しいハイウェイ」と言っても過言ではない「セブンマイルブリッジ」を通るため、車でアクセスすることを強くおすすめします!
「キーウエスト」までのアクセス方法は、こちらの記事をご覧ください!➡
【アメリカ フロリダ キーウエスト】
「セブンマイルブリッジ」の詳細は、こちらの記事をご覧ください!➡
【アメリカ フロリダ セブンマイルブリッジ】
「サザンモストポイント」の詳細は、こちらの記事をご覧ください!➡
【アメリカ フロリダ サザンモストポイント】
いかがでしたでしょうか。
猫好きで知られていた「ヘミングウェイ」の家には、今でもたくさんの猫が住ついていて、「ヘミングウェイ」の飼っていた猫の子孫だそうです。
約半分の猫が6本指を持っていると言われており、見つけたら幸せになる6本指の猫をぜひ見つけてみましょう!
また、「キーウエスト」は「マイアミ」に比べると雨も少なく、比較的穏やかな気候です。
昼夜の寒暖の差も比較的少なく1年中20~25°で、スコールやハリケーンを除けば晴れていることが多いです。
ベストシーズンは冬の季節で、特に12月下旬~3月が過ごしやすいのでおすすめです!
【アーネスト・ヘミングウェイについて】
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899年7月21日ー1961年7月2日)はアメリカの小説家・詩人。
彼の生み出した独特でシンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えました。
ヘミングウェイは、ほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げ、1954年にノーベル文学賞を受賞するに至りました。
6つの短編集を含めて7冊の小説と2冊のノンフィクション小説を出版。
3冊の小説、4つの短編集、3冊のノンフィクション小説が死後に発表されました。
これらは、アメリカ文学の古典として考えられています。
〖生涯〗
アメリカ合衆国イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)に生まれる。
父は医師、母は元声楽家で、6人兄弟の長男でした。
父は活動的な人物で、釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けていました。
高校卒業後の1917年にカンザスシティ(ミズーリ州)の地方紙「カンザスシティ・スター」(英: The Kansas City Star)の見習い記者となるも退職。
翌年に赤十字社の一員として第一次世界大戦における北イタリアのフォッサルタ戦線に赴くも重傷を負います。
戦後はカナダ・トロントにて「トロント・スター」(英: Toronto Star)のフリー記者を務め、特派員としてパリに渡り、「ガートルード・スタイン」らとの知遇を得て小説を書き始めました。
行動派の作家で、1930年代には人民戦線政府側として、スペイン内戦にも積極的に関り、その経験をもとに行動的な主人公をおいた小説をものにします。
「誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」などはそうした経験から生まれた作品で、当時のハリウッドに映画化の素材を提供しました。
短編には簡潔文体の作品が多く、これらは「ダシール・ハメット」「レイモンド・チャンドラー」と後に続くハードボイルド文学の原点とされています。
1954年、「老人と海」が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞。
同年2度の航空機事故に遭うも奇跡的に生還する。
しかし、重症を負ったため授賞式には参加できませんでした。
以降、これまで自信の売りであった肉体的な頑丈さや行動的な面を取り戻すことはなかったのです。
晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされたりと、執筆活動も次第に滞りがちになっていきます。
1961年7月2日早朝、ショットガンで自殺。(当初は手入れの際に起きた暴発が原因の事故死と報じられたが、遺書が発見されたため自殺と断定)
【基本情報】
アーネスト・ヘミングウェイ・ホーム&ミュージアム
住所:907 Whitehead St. Key West
電話番号:305-294-1136
営業時間:9:00am~17:00pm
定休日:年中無休
料金:大人$13 子供$6 5歳以下は無料。12名以上のグループは団体割引あり。支払は現金のみ。
公式サイト:http://www.hemingwayhome.com
※記事内容は執筆時点のものですので、最新の内容をご確認ください。