• 私の旅行記

ハワイ オアフ島 イオラニ宮殿

更新日:2020年12月30日


こちらは、ハワイの歴史の中で「ハワイ王朝時代」から「共和国時代」、そして「ハワイ州立」へと移り変わる激動の歴史の舞台ともなった「イオラニ宮殿」です!

ホノルルを代表する観光スポットの一つとして、ガイドとともに周る宮殿内部のツアーは非常に有名ですが、庭園にも歴史的遺物が点在しています。

日本語の宮殿ツアーは1日1回のみで、時間の都合上参加できない方もいらっしゃると思いますが、「イオラニ宮殿」は10分20分だけでも訪れるだけでも、ハワイの歴史を振り返り、学ぶことができるのです。

【歴史・イオラニ宮殿について】

「イオラニ宮殿」は1882年にハワイ国王7代目君主の「カラカウア王」によって建てられました。

「カラカウア王」そして跡を継いだ妹の「リリウオカラ二女王」ちう2人の君主がここで暮らし、1893年のハワイ王朝崩壊まで、ハワイの政治・文化の中枢として機能していました。

イタリア様式の建物は、アメリカ合衆国唯一の宮殿として有名ですが、実は現在する宮殿が完成するはるか昔から、この敷地はハワイ王族の居住地としての歴史を刻み続けてきたのです。

その起源は1820年代、「カメハメハ3世」の首相で王族の一人「カラ二モク」が、ここを住居に設定したことに始まります。

住居はハワイ王国の宮殿の役割を果たし、王族の会議場としても使用されていました。

その後、1845年「カメハメハ3世」がこの地に公邸を建て、「ハレ・アリイ」と命名しました。これを「カメハメハ5世」が1870年代に「イオラニ宮殿」と改名したのです。

初代宮殿は1874年に取り壊されましたが、「カラカウア王」は後に建てた新宮殿にもそのまま「イオラニ宮殿」と命名したのです。

【ツアーに参加しなくても見どころは満載!】

その他にも、敷地内には様々な王族の住居が点在したことが知られています。

こちらでは、ツアーに参加せずとも見ることができる貴重なスポットをご紹介します。

〖王家の霊廟〗

宮殿を背にして左手前方には、低い鉄柵と植物「ティリーフ」で囲まれた部分があります。

実はここが宮殿きっての「聖地」!

昔、「カメハメハ大王」の10代前の先祖でハワイ島の大曹長「リロア」を含む、21人の王族の亡骸が眠る王家の霊廟だったのです。

1865年に霊廟がいっぱいになってしまい、「ヌウアヌ」の高台に新霊廟が造られ遺体は移されましたが、一説によると旧霊廟にもまだ遺体が残されているとのこと。

そのため、1930年に鉄柵やプレートが付けられるなどして整理され、周囲にはハワイで聖なる植物とされる「ティリーフ」が植えられたのです。

「KAPU」=ハワイ語でタブーの意味の注意書きがあるように、敬意持って観光したいスポットですね。

〖神聖リロアの岩〗

旧霊廟を背にした前方にある東門を入ってすぐの部分には、ハワイ島の大曹長であった「リロア」に関連する神聖な岩が鎮座しています。

岩は「パエパエ・カプ・オ・リロア」と呼ばれ15世紀以来、ハワイ島の「ワイピオ渓谷」にあった「リロア」の住居前に置かれていたものだそうです。

19世紀に「カラカウア王」の命令でオアフ島に運ばれ、現在地に設置されました。

昔は、庶民が「パエパエ・カプ・オ・リロア」に触ろうものなら死罪にもなった聖なる岩で、岩の周りに例の「ティリーフ」を植えて植えているのもそのためなのです。

「パエパエ・カプ・オ・リロア」の後に立つ岩は、イギリスの「クック船長」によるハワイ諸島発見を記念し、ハワイがまだアメリカ合衆国統治領だった1930年に設置されたものです。

7トンもある岩には、「クック船長」の横顔などを描いたプレートが埋め込まれています。

〖幽閉の窓〗

「イオラニ宮殿」にの次なる見どころ、それは「リリウオカラ二女王」が幽閉されていた部屋「幽閉の間」の「窓」です。

ツアーに参加せず外から見る場合、「パエパエ・カプ・オ・リロア」から宮殿に向かって歩いて行くと、巨大なバニヤンの木がある場所に着きます。

これらは1879年、現在の宮殿の建設開始に先立ち、「カラカウア王」の妻である「カピオラ二女王」によって植樹された木々です。

ここから宮殿方面に歩き2階を見上げると、宮殿の前方の角2階に白い板で覆われた窓あります。

そこが、ハワイ王国最後の女王「リリウオカラ二」の寝室だった場所「ワシントン・プレイス」なのです。

そしてこの2階にある部屋こそが、1893年に革命勢力によってハワイ王国が転覆された際、退位を迫られた「リリウオカラ二女王」が8ヶ月間幽閉された場所です。

「リリウオカラ二女王」は窓も覆われ、1人の侍女のほか外部との接触を全て断たれ、孤独な生活を送っていたのです。

その後、王国の栄華を象徴する「王座の間」で裁判にかけられ、一般市民として余生を送ることになります。

ちなみに、内部の「幽閉の間」には、「リリウオカラ二女王」自らの手による「パッチワーク・キルト」が展示されています。

「クレージーキルト」というパターンで、布の端切れを無駄にしないように、1針1針アットランダムに継ぎ合わせるやり方です。

不規則なため、色柄合わせにセンスが求められますが、世界に1つだけのキルトが完成するのです。

こちらのキルトは、貴重な布字地が色褪せ内よう、ガラスケースでしっかりと保護されています。

〖王家の紋章〗

「イオラニ宮殿」は四方をフェンスに囲まれており、東西南北に4つの門があります。

この門にはハワイ王国の紋章が飾られているのですが、この紋章も実に興味深い歴史が刻まれているのです。

紋章は1840年代の「カメハメハ3世」の時代、王族の一人によりデザインされたものです。

一番下にあるハワイ語の文章は「大地の生命は、正義によって守られる。」ハワイ王国の日常的な目的や方針となるモットーが描かれています。

真ん中に立つ2人のハワイアンは、「カメハメハ大王」の叔父で相談役であった双子の王族「カメエイアモク」と「カマナワ」です。

2人の間にある王冠には「タロイモの葉」が8枚描かれており、これはハワイ諸島8島を表しています。

王冠の下にあるハワイ王国の国旗から取られた8本のストライプがあり、これもまたハワイ諸島8島を表しています。

球状の先についた白い棒は、昔王族の象徴として住居前などに立てられた「プロウロウ」というものです。

中央には、カヌーのパドルと王族のカヌーの立てられた旗「プエラ」が組み合わされています。

また、東西南北にある4つの門にはそれぞれ名前があります。

正面は「カウイケアオウリ門」:「カメハメハ3世」にちなんだ名称。儀式の時のみ使用。

東門は「リケリケ門」:「カラカウア王」の妹「リケリケ王女」にちなんで名称。王族専門の門。

西門は「キナウ門」:「キナウ王女」の住居があったことから名づけられた。商人の出入りに使用。