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ハワイ オアフ島 ハワイ陸軍博物館

更新日:2020年12月30日


こちらは、「真珠湾(パールハーバー)防衛」のために建設された「ランドルフ砲台跡地」に建つ、米国陸軍認可の博物館「ハワイ陸軍博物館( Hawaii Army Museum Society )」です!

古代ハワイアン時代からベトナム戦争に至るまで、ハワイで実際に起きた戦禍の悲劇を伝える写真や武器を展示され、日本兵の所持品や潜水艦もあります。

館内の展示物を詳しく説明した英語&日本語でのオーディオツアー(5USドル)で回るのがおすすめ!館内にはギフトショップもあります。今回はそんな、「ハワイ陸軍博物館」について詳しくご紹介させていただきます!

【ハワイ陸軍博物館:基本情報】

〖歴史・概要〗

「ハワイ陸軍博物館」は、1911年( 明治44年)に「真珠湾」の防衛を目的として建設された建物を博物館として転用、分厚いコンクリートで固められた造りで、砲弾の直撃にも耐えられると言われています。

世界中からハワイへやって来た多くの観光客が見学に訪れていますが、「陸軍博物館」設置の本来の目的はアメリカ軍兵士にその歴史や武器の詳細について伝えることだということです。

「太平洋戦争」・「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」の時代に使用された「戦車」・「ヘリコプター」・「大砲」などの兵器、写真の展示が行われており、更に「太平洋戦争」の時に使用された日本の「戦車」や日本兵の「備品」なども展示されています。

〖営業時間〗

火曜日~土曜日:10:00~17:00

※元旦・クリスマスは休業

〖定休日〗

日曜日・月曜日

〖入場料〗

無料(寄付金歓迎)

オーディオツアー(日本語あり):5ドル

〖アクセス〗

「アメリカ陸軍博物館」は、「ワイキキビーチ」西側にある「フォート・デルッシ公園」の一角にあります。「フォート」とは「砲台」の意味。

「ワイキキ」に滞在の方でしたら十分に徒歩圏内ですし、博物館の前には「戦車」が置かれていますので、すぐにわかると思います。

【バス】

「ワイキキ」の「クヒオ通り」山側から「8」・「19」・「20」・「23」・「42」番の「バス」に乗り、「カリアロード(Kalia Road)」と「サラトガロード(Saratoga Road)」の交差点で下車。「アメリカ陸軍博物館」は道路の反対側に見えます。

【レンタカー】

「ワイキキ」の「アラモアナブールバード(Ala Moana Blvd.)」、「サラトガロード(Saratoga Road)」などから「カリアロード(Kalia Road)」に入ると「サラトガ」寄りの海側に「アメリカ陸軍博物館」があります。

山側の「フォート・デルッシ公園」の駐車場に駐めて、博物館でバリデーションを受けると駐車料金が割引になります。


〖所要時間目安〗

1時間程度

〖公式サイト〗

https://hiarmymuseumsoc.org/

【展示内容:魅力・見どころ!】

展示内容は案外幅広く、屋内と屋外に分けられており、「アメリカ陸軍」にとどまらず、古代ハワイで使用されていた武器やカヌーなども展示され、パネル写真ほかの資料も多く、ハワイで行われた戦争とアメリカ陸軍が関わった戦争についての歴史が学べる博物館となっています。

「第二次世界大戦時」の日本軍の武器やアメリカ軍が戦利品として持ち帰ったと思われる日本人兵士の遺品の展示はヘビーですが、戦争や平和について再考させられます。

物館の外に並んでいる戦車や迎撃砲は通りすがりの観光客にも人気があり、屋上には軍用ヘリコプターも!展示はすべて英語ですが、「平和」を考える意味でも訪れることをおすすめします!

〖屋外展示品(博物館正面展示品)〗

【U.S.PREFABRICATED PILLBOX】

「U.S.PREFABRICATED PILLBOX」は、直訳すると「組み立てられた機関銃陣」となり、工場で大量生産された鋼鉄製の機関銃陣のことを意味します。

説明パネルによると、構築された陣地にこの機関銃陣を設置して使用していたそうで、直訳する〖1941年12月7日以前、鋼鉄製のトーチカ(Pill Box)は、軍事施設・飛行場・(日本軍が)上陸する恐れのあるオアフ周辺の海岸に設置されていた。〗とあります。

内部に2名が入り、機関銃や小銃で武装して攻撃するというもので、〖ある地点に設置して、拠点(基地)から(後部に)設けられた地下道(管)を通って2名の隊員が軽機関銃を持って回転塔に入る。〗と説明書きされています。

日本がコンクリート製のトーチカを構築していたのに対し、アメリカは鋼鉄製で大量生産したものを埋めており、持ち運べてすぐに構築できるので理にかなっている設備 (装備)になっています。

【九十五式軽戦車】

「九十五式軽戦車」は、「日本帝国陸軍」の「軽戦車」で、装甲が薄く37mm主砲の威力が弱いという欠点がありました。

中支戦線での中国軍相手ではどうにか通用していましたが、近代的な装備を持った米英軍相手ではかなり苦戦し、本来は対戦車戦に用いられる戦車ではないのですが、厚い装甲と強力な火砲を持った後継戦車の開発が遅れたのと、それらを外地へ輸送する手段がなかったため、最後は無理を承知で対戦車戦に投入され大きな損害を被っています。

ちなみに、「陸軍博物館」に展示されている車輌は完全体ではなく、あちこちが欠落している他、細部の形状が違っています。

【M24軽戦車】

「M24軽戦車」は、「北アフリカ戦線」における対「ドイツ陸軍」との戦車戦での教訓から開発された軽戦車です。「第2次大戦」後半に実戦投入され、主にヨーロッパ戦線に投入されました。

避弾経路を考慮した設計となったため、装甲はあまり厚くはなく、主砲はB255用の「対艦砲」から流用した75mm主砲を搭載。副武装として12.7mm銃機関銃1基、7.26mm機銃2基を搭載していました。

自動社会社の「キャデラック」が主に開発・製造を担当したため、随所に自動車の製造ノウハウが生かされており、機動性が良く乗り心地の良い戦車となっているそうですが、「朝鮮戦争」では「T34/85」相手に苦戦を強いられ早々に退いたそうです。

ちなみに、日本の「陸上自衛隊」にも供与され使用されています。

【M3 105mm榴弾砲(105mm Howitzer M3)】

「M3 105mm榴弾砲(105mm Howitzer M3)」は、アメリカ軍が開発した軽量の榴弾砲で、1943年(昭和18年)に完成し実戦配備されました。

「M3」は「M2A1-105mm榴弾砲」の砲身を短くしたもので、「M2A1」と同じ砲弾と薬莢が使用でき、主に「ヨーロッパ戦線」で使用され、「西部戦線」において空挺部隊の野戦砲兵連隊に配備されたほか、歩兵連隊の砲中隊にも配備され使用されました。1945年(昭和20年)までに約2600門が製造されました。

【基本情報】

口径:105mm/砲身長:1880mm

全長:3.94m/全幅:1.7m/重量:1130kg

仰俯角:-9~+30度

左右旋回角:45度

発射速度:最大4発/分、連続発射で2発/分

射程距離:7600m

【一式四十七粍速射砲】

「日本帝国陸軍」が開発した口径47mmの対戦車砲。昭和16年(1941年)に採用され、翌昭和17年(1942年)に制式化されました。対戦車砲でありますが、砲弾は榴弾と徹甲弾の2種類が用意されました。

1000m離れた距離からであっても「M3戦車」の装甲を貫く性能を持っており、対戦車砲の主力となることが期待されました。

しかし、前線に配備される頃には「M4戦車」が配備されていたため、新たな装甲の厚い戦車に苦戦。それでも徹底した偽装などにより隠れ、側面からの攻撃に徹するなどしてかなりの数の「M4戦車」を撃破しています。

【MONARCHY CANON】

「MONARCHY CANON」は、「ハワイ王国」が使用した「カノン砲」で、1831年に「ハワイ王国」によって「ホノルル」にある「死火山・パンチボウル」のクレータ内に築かれた要塞に配備された砲の一つです。

「ホノルル湾」の防衛や礼砲として使用され、この砲は1920年(大正9年)から「ホノルル」の「ビショップミュージアム」で展示されていましたが、1988年(平成元年)にこの場所に移設し展示しています。

〖屋内展示品〗

【Eric Ken Shinseki】

「Eric Ken Shinseki」は、その名の通りハワイ出身の日系3世の「Eric Ken Shinseki陸軍大将」に関する展示品です。

経歴や戦歴などを写真パネルなどで紹介され、着用していた制服なども展示されています。ハワイの日系社会にとっては英雄ということもあり、展示ブースが設けられています。

「Eric Ken Shinseki」は1942年(昭和17年)11月生まれ。祖父は広島県出身という日系移民の家庭出身で、1965年(昭和40年)に陸軍士官学校卒業。「ベトナム戦争」にも派遣され負傷。その後は順調に出世し、1997年(平成9年)には「陸軍大将」に昇進。1999年(平成10年)6月に「陸軍参謀総長」という米陸軍制服組トップに上りつめました。2003年(平成15年)6月に任期満了につき退役。オバマ政権下では「退役軍人長官」に起用されています。

【日本軍のサーベル・拳銃・軍票】

「拳銃」は「帝国陸軍」の制式拳銃である「南部十四年式拳銃」で、陸海軍で使用されました。大正14年(1925年)に「制式拳銃」として採用され、昭和20年(1945年)まで製造。諸々の事情により戦後しばらくの間、警察で使用されていました。

「軍票」は、占領地域において物資調達やいろいろな支払いのために発行した日本軍が発行した疑似紙幣のこと。オランダ領東インド・マレー方面、ビルマ方面、オセアニア地域、フィリピンの5地域において発行されていました。

また、通貨単位も「円」ではなく、各地域で使用されていた通貨単位に合わせてあります。「サーベル」は指揮官用のものになります。

【九十二式歩兵砲】

「九十二式歩兵砲」は昭和7年(1932年)に採用された「歩兵砲」で、それまで別々の砲で撃っていた「平射」・「曲射」を一つの砲で撃てるようにすることを目的として開発されていました。

「歩兵大隊」に2門ずつ配備されていたため、「大隊砲」とも呼ばれていました。車輪は鋼鉄製となっており、馬一頭に牽かせての移動となり、分解すれば馬三頭か兵士10名が担いで移動していました。