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ハワイ ハワイ島 パーカー牧場

更新日:2020年12月31日


こちらは、ハワイ島・「ワイメア」に広がる全米でも最大規模・160年の歴史ある伝説の牧場「パーカー牧場」です!

1847年に「カメハメハ王」の側近だった「ジョン・パーマー・パーカー」により設立され、「パーカー・ランチ(Parker Ranch)」とも呼ばれます。

「パーカー・ランチ(パーカー牧場)」の特徴としては、まずその広大な敷地で、広さはなんと「東京23区」のおよそ1.5倍、約900平米にもなります。

ハワイ州最大であるのはもちろん、大規模な牧場の多い米国でも第3位の広さになり、ハワイ島の1/10を占めます。

19,000頭にも及ぶ牛(主にアンガス牛とシャロレー牛)が放牧され、ハワイ州の中では牧草で育てられた、おもに牛挽肉の出荷が一位です。他にも125頭の馬とパニオロという呼ばれるカウボーイが仕事をしています。

全米でも最古の牧場でもあり、元々はパーカー家の個人所有の牧場でしたが、1992年の6代目の死去にともない、相続税の問題から現在は信託団体による運営となっています。

【160年の歴史ある伝説の牧場:魅力・見どころ!】

「パーカー牧場」がここまで広大な理由は、設立者の「ジョン・パーカ」ーが「ハワイ王室」と関わりを持ったことに由来します。

1809年、19歳で「マサチューセッツ」から船に乗ってハワイを訪れた「ジョン・パーカー」は、「カメハメハ1世」からハワイ語やハワイの文化を学んでいきました。

当時「ワイメア」では、それより約20年前(1788年)にイギリス海軍の船長「キャプテン・ジョージ・ヴァンクーバー」から「カメハメハ1世」に贈った5頭の牛が増えていました。

王が作った法律では、牛の捕獲が禁止されていましたが、野生化した牛をコントロールするために「ジョン・パーカー」は牛の猟を解禁され、大役を果たしました。

彼は牛の捕獲だけではなく牛肉の輸出を手掛けることにし、牛肉産業は成長していき、島の主な輸出品にまでなっていきました。「ジョン・パーカー」は新しいビジネスを確立したのです。

1816年に王の孫娘の「キピカネ」と結婚し土地を受け継いだり、購入したりと「パーカー牧場」の基礎ができました。

「カメハメハ1世」は出会ってから約10年ほどで亡くなりましたが、その後の「カメハメハ3世」とも深い交流が続き、「カメハメハ3世」は馬とカウボーイをアメリカ本国から取り入れました。

「カウボーイ」は「メキシコ」などから来たため、スペイン語を話しそれがハワイ語になり「パニオロ」という言葉が生まれました。

パーカー家3代を継いだ「サミュエル・パーカー」は、「カラカウア王朝」と深い関わり合いがあり、「サミュエル」はハワイ語で「カムエラ」といい、今では「ワイメア」の地名にもなっています。

4代目の「ジョン・パーカー3世」は19才で亡くなりましたが、妻の「アント・ トゥッチー」は、女手一人で娘である5代目「テルマ・パーカー」を育て、牧場の経営の責任者として「アルフレッド・カーター」を雇い、牧場は拡大していき、「カーター」は約50年牧場経営に貢献しました。

彼の功績は大きく、アメリカ軍が使用できる馬や、日本の皇室に売ったりできる馬を飼育しました。

6代目の「リチャード・スマート」が3才になる前に、両親が亡くなったため、祖母である「アント・ トゥッチー」により育てられ、この時に牧場は5万エーカー、そして牛は3万頭に達していました。

「リチャード・スマート」は「ハリウッド」で俳優、ミュージシャンととして活躍し、ブロードウェイやヨーロッパでの舞台も経験、1960年の47歳の時に「ワイメア」に戻り、牧場経営やコミュニティーなどの発展に努めました。

1980年には亡き母「テルマ・パーカー」のために「カヒル・シアター」の建設、その後1992年に亡くなり牧場の経営は「パーカー牧場・ファンデーション・トラスト」という慈善団体に渡り、「ワイメア」のコミュニティー・学校・病院・チャリティーなども援助しています。

「パーカー牧場」は「第二次世界大戦」の時は、アメリカ海兵隊へ土地を提供したりしていたため、その時に始まった「ロデオ」も現在では「独立記念日」の恒例となっています。

これら広大な牧場の始まりが、「イギリス」からやって来た5頭の牛であり、もし彼らが「カメハメハ1世」の元に来なければ、現在の「ワイメア」のこの景色は拝めなかったかもしれません。

〖パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームズ(Parker Ranch Historic Homes)〗

「パーカー牧場」の「ヘッドクォーター」でもある「プウオペル」では、「グレート・ルーム」と「ダイニング・ルーム」を見学することができ、この建て物は1862年に「ハワイアン・ビクトリアン風」に建てられたもので、1879年に「ジョン・パーカー2世」が購入しています。

元々はL字の「コートヤード」でしたが、年月とともに少しずつ増築され、6代目の「リチャード・スマート」の頃には天井も高くなり、美術館の如く、アートのコレクションが増えていきました。

建て物は火災防止になるようドアなどもスティールで作られており、両開きのフレンチドアは「コアの木(ハワイ固有の植物)」で作られている貴重なもので、コアの木の戸棚には王家からの剣や書状なども飾ってあります。

キッチンのあった場所は1948年に「ダイニング・ルーム」に改装され、中でも黄色い北京ガラスのコレクションは多く、中国からの観光客も驚くほどです。

「グレート・ルーム」の中には日本の「天皇」から「サミュエル・パーカー」に贈られた一対の花瓶がありますが、これには「菊の紋章」がなく、本物かどうかの議論が交わされていました。

しかしながら、2009年に「天皇皇后」が「パーカー牧場」を訪問された際、その疑いを晴らすよう新たな「菊の紋章」入りの紫の花瓶を贈られ、こうして現在も3つの花瓶が飾られています。

敷地内にはもう1つ「マナヘレ」と呼ばれる家があり、こちらは「ジョン・パーカー」により建てられた内観がすべて「コアの木」が使われた、ニューイングランドの「ソルトボックス」スタイルの家になります。

床から天井まで今では貴重な「コアの木」で作られ、家の中を歩いて見学することができ、「サミュエル・パーカー」の時代の1800年代からの「カメハメハ王」や「カイウラニ王女」との写真なども展示され、ハワイ王朝との深い関わり合いがうかがえます。

メインルームには「パーカー家」の写真や系図が飾られており、リクエストがあれば日本語のDVDの画像(20分間)も見ることができます。

メインベッドルームには「コアの木」で作られたベッドや家具などが置かれ、「サミュエル」の妻「パナナのドレス(レプリカ)」も飾られており、「コアの木」で作られた階段を登り2階へ行くこともできます。

ちなみに、どちらの家も「ガイドツアー」はないため、自由に見学できるようになっており、「プウオペル」は「190号線」から伸びる一本道の先にあります。

【アクティビティ】

「パーカー・ランチ(パーカー牧場)」では、いくつかの種類のある牧場主催のツアーに参加して楽しむことができます!