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ハワイ ハワイ島 リリウオカラニ公園

更新日:2020年12月31日


こちらは、ハワイ最後の統治者「リリウオカラニ女王」にちなんで名付けられた「リリウオカラニ公園」です!

「ヒロ」の「バニヤン・ドライブ」にある約12万m2の「日本庭園」で、ハワイ島のサトウキビ畑で働いた最初の日本人移民に敬意を表して1917年に開園しました。

美しい庭園には、赤い太鼓橋、石庭、仏塔、石灯籠、茶室など見どころがたくさんあり、公園を一周する歩道は散策やジョギングにも最適です!

今回は、日本の美を感じる静かで落ち着いた海辺のスポット「リリウオカラニ公園」についてご紹介させていただきます。

【歴史:ハワイに巨大な日本庭園がある背景】

30エーカーの敷地を持つこの「日本庭園」は、鳥居や仏塔、石灯籠、錦鯉が泳ぐ池、石庭、太鼓橋のほか、「松浪庵」という茶室も備えています。

1917年にハワイ王国最後の女王である「リリウオカラニ女王」が、「サトウキビ・プランテーション」で働いていた最初の日本人移民らに敬意を表してこの土地を公園として提供しました。

ハワイは19世紀から、日本人を移民として受けいれてきた歴史を持っています。

その数はかなりのもので、ある一定の時期まで日系人はハワイにおける最大の民族グループであった事があり、日系人が減った今日でも第1位のフィリピン系に続くほどです。

元々この土地は「カメハメハ大王」のひ孫の「ケエリコラニ」の所有地で、それが「リリウオカラニ」に遺されたもの。

1907年に「リリウオカラニ」が寄贈した5エーカーに周辺の土地が加わり、今では30エーカーの公園となっています。

そのため、毎年9月の第1土曜日には「クイーン・リリウオカラニ・フェスティバル」が開催され、ハワイと日本の文化的アクティビティや工芸品のブースが設置され、茶会も催されます。

〖リリウオカラニ女王逝去の直前に庭園造成が決定!〗

公園が「日本庭園」になった背景には、当時のユニークな歴史背景があります。

18世紀末から19世紀にかけ、ハワイでは「日本庭園」がちょっとしたブームになっており、富裕層を中心に庭を日本風に仕立てる人々が増えていたのです。

「カラカウア王」が「ホノルル」に持っていた別荘の1つにも「日本庭園」があり、在日本の「ハワイ王国総領事」だった「ロバート・アーウィン」氏も、「ワイキキ」の自宅に「日本庭園」をしつらえていました。

そんな背景から、「リリウオカラニ女王」の友人の1人の「ローラ・ケネディ夫人」が、ヒロ近郊の自宅に「日本庭園」を築いたのが1914年。

また「ケネディ夫人」の友人である「町田夫人」が、1912年に「ヒロ日本人婦女親交会」を設立した後、日本から取り寄せた「燈篭」などを置く公共の「日本庭園」設立を模索し始めたのも、ちょうどその頃になります。

同親交会は庭園造りのため募金活動を続け、1917年にはついに「ハワイ準州政府(当時のハワイはアメリカ準州でした)」が、「リリウオカラニ」寄贈の土地に日系移民を記念した「日本庭園」を造ることを決定されます。

それは同年「リリウオカラニ」が逝去する、ほんの数か月前のことでした。

本格的な「日本庭園」を造るのにあたり、「ケネディ夫人」が自宅の庭園造成の際に京都から呼び寄せた造園家が再びヒロに招かれ、「リリウオカラニ庭園」が完成したというわけです。

〖ハワイの言語にまで日本の影響が〗

ハワイにおける日本文化の影響は広汎に渡り、日本にルーツがありながら現地化して愛され続けている料理や食材の数々や、アロハシャツなどの衣服といったものは、間違いなくハワイの文化の一翼です。

今でこそ寿司が国際的な料理になったり、日本発のレストランチェーンやアパレルブランドが海外に出店したりするなど、日本文化が海外で受け入れられる事は珍しくないかもしれません。

しかし完全に現地に溶け込むほど昔から日本由来の文化が存在したのは、明治の頃から多くの日本人を受け入れてきたハワイのような土地ならではでしょう。

さらに日本人が現地で生活し、代を重ねて溶け込んだ結果、食べ物や着る物に留まらない風習も脈々と受け継がれています。

それは「言語」にまで及び、現在のハワイは【アメリカ合衆国】の州であり、公用語は王国時代以前からのハワイ語と英語が使われています。

しかしハワイの方言である「ハワイアン・ピジン・イングリッシュ」には、日本語から来たといわれている言葉がいくつか存在するのです。

例えば「Skosh」は「少し」が元になった言葉と言われており、意味もそのまま「少し」です。

「Habut」、「Habuteru」という言葉もあり、これは「不機嫌になる」、「ふてくされる」などの意味があります。

これは元は広島県や山口県、北九州などで使用されている方言が元となり、他にも「スラング」になっている日本語も数多くあります。

〖日本人と共に海を渡った風習と宗教〗

文化の影響について語るとき、外せないのが「宗教」による影響で、多くの日本人が移り住んで影響を与えたハワイの社会も、その例外ではありませんでした。

19世紀末から20世紀の初めごろにかけて、日本の「仏教」や「神道」の様々な門派がハワイに渡っています。

そのためかハワイにおいて、「仏教」は全体の1割近い人口から信仰を得るまでにいたり、「神道」も現地の「宗教」として一部に根付くまでになりました。

「仏教」に関しては日本以外の国から来た移民による信仰の影響も大きいですし、現在は日系人のキリスト教化も進んでいますが、それでも日本文化からの影響は間違いなくあるでしょう。

そんなハワイには「神道」や「仏教」にちなむ施設が少なくありません。

例えば「神道」の神社は、日本の「島根県」にある「出雲大社」の分社である「ハワイ出雲大社」や、祭神の数が多い事で知られる「ハワイ金刀比羅神社・太宰府天満宮」・「ハワイ石鎚神社」などが有名であり、年末年始は初詣の参拝客もやってきます。

「仏教」のお寺もかなりの数が点在しており、「浄土真宗」や「曹洞宗」など宗派も豊富にそろっています。

これらの多種多様な寺社ではイベントも頻繁に行われており、「神社」では例祭でおみこしが出る事も多いですし、「寺院」では盆踊りが盛んです。

特に盆踊りは「Bon dance」とも称され、日系人を主たる母体として盛んに催され、昔ながらの炭坑節などが今でも盛んに踊られており、懐かしく感じる人も少なくないそうです。

【リリウオカラニ女王について】

「カラーカウア王」の妹である「リリウオカラニ(1838年オアフ島生まれ)」は、兄「カラーカウア」の王位継承者となり、1891年に即位しましたが、1893年に女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は滅亡、「リリウオカラニ女王」は1917年に79歳でお亡くなりになりました。

「リリウオカラニ女王」は、「アロハ・オエ」という歌の作詞者でもあります。

以下は「リリウオカラニ王女を讃称するチャント」です。

〖Lili‘u ē〗

Ê Lili`u ê, noho nani mai・Kô kino ê, ki`i milimili・Kô maka ê, nôweo nei・Kô papâlina, ê kukû nei・Kô po`ohiwi, ani pe`ahi・Kô poli ê, nahenahe wale・Kô kuli ê, nuku Moi `oe・Kô wâwae, pahu a`e i luna・Ha`ina `ia mai ana ka puana・Ê Lili`u ê, e noho nani mai・Ê ô ê Lili`u, i kou inoa・Ka hae kalaunu, o Hawai`i nei・O Lili‘u sitting beautifully,

Your person we fondly touch, (Your body, beloved doll)・Your eyes sparkle (Your eyes are bright),・Your cheeks stand out (Your cheeks are so plump),・Your shoulders wave like a fan,

Your bosom is so soft (Your embrace is soft),・Your knees are like a Moi fish nose,

Your feet are lifted up,・Tell the refrain,・Of Lili‘u, sitting beautifully,・Answer Lili‘u to your name,・The crowning glory of Hawai‘i.

あー、リリウよ。美しく座っている。私たちは愛情を込めて最愛の人形のようにあなたの体に触れる。あなたの目はきらきら輝いていて、あなたの頬はふっくらとしていて、あなたの肩は扇子のようにやさしく動き、あなたの抱擁はとても優しく、あなたの膝はモイ(ツバメコノシロ属の魚)の丸い鼻のようで、あなたの足は上がっている。

歌の始めに戻って繰り返します。あー、リリウよ。あなたはとても美しく座っている。リリウよ、呼びかけに答えておくれ、愛するハワイの最高の栄光よ。

【リリウオカラニ公園の魅力・見どころ!】

湾に面したヒロの静かな「リリウオカラニ公園」は、落ち着いた佇まいの日本庭園、緑豊かなバニヤン ツリーがあり、聖なる古代ハワイ島からの美しい眺めが広がります。

これらの木は著名人によって植樹されたもので、それぞれに名前の入ったプレートが付いています。

庭園には今、赤いお太鼓橋や燈篭、東屋、鳥居や庭石が見事に配置され、黒松やツツジも植樹されて、日本らしい風情を醸し出しています。

その一角には、本格的な茶室「松浪庵」もあり、この茶室は「裏千家15代目家元」が寄贈したもので、今も茶道教室などに使われる現役の茶室。

こちらでは、園内の茶室を使って英語および日本語で茶道クラスを開講しています (お問い合わせ先: 808-981-2777)。

また「石燈篭」は、ハワイに初の日系移民が入植してから100周年を記念し、1968年に「沖縄」や「広島」、「山口」、「福岡」などハワイに多くの移民を送り出した日本14県から贈られました。

そこがハワイであることも忘れてしまいそうなこの美しい日本庭園は2017年、「アメリカのランドマーク」とういう切手シリーズにもデザインされ、ヒロの人々を喜ばせることになりました。

ちなみに庭園の4分の一を占める「ワイホヌ池」は、以前王族の養魚池として使われていた池です。

昔は養魚池を含む土地は大変価値が高く、庶民の土地所有が許される時代になってからも、ほとんどが王族の所有地でした。

日本的なこの空間の中で唯一、王族時代の伝統を伝えているのが「ワイホヌ池」かもしれません。

また、公園の近くには「ココナッツ・アイランド (別名モク・オラ)」という小さな島があり、橋で公園と繋がっています。

歩道橋を渡って、ハワイ語で「生命の島」という意味の小島「モク・オラ (ココナッツアイランド)」へ行ってみましょう!

地元の人によるとこの島は伝統的な隠れ家であり、癒しの場だったと言われ、「ヒロ」の「ダウンタウン」、「ヒロ湾」、「マウナケア」、「ハマクア・コースト」を見渡せる「ココナッツアイランド」は、夕日の絶景スポットとして知られています。

島の東側には、1946 年の津波で古い歩道橋が流された場所に「石塔」が建っています。