私の旅行記
フランス パリ シテ島:魅力・見どころ・アクセス方法・基本情報まで徹底ナビ!

こちらは、フランス・パリの中心部にある「ノートル・ダム大聖堂」・「コンシェルジュリ」・「サント・シャペル」などパリの観光で欠かせないスポットの宝庫「シテ島」です!
「シテ島」は、隣にある「サン・ルイ島」と並び、パリの中心部を流れる「セーヌ川」の中州となっています。パリ発祥の地でもあり、紀元前250年頃「ケルト民族」の「パリシイ人」が「セーヌ川」の中州に住んだのがはじまりとされています。
今回はそんな、中世の美しい風景に出会うことができる場所「シテ島」の魅力・見どころ・アクセス方法・基本情報まで詳しくご紹介させていただきます!
【シテ島:基本情報】
〖歴史・概要〗

紀元前、パリはまだ川(セーヌ)の流れる辺境の地でした。辺りは沼地で、灌木が生えているだけの何もない場所でしたが、その川の中の島に「パリシイ族」が住み着きました(パリ近郊のナンテールにパリシイ族が最初に住みついた場所とも言われています)。それが現在の「シテ島」です。「セーヌ川」の浅瀬にあった「シテ島」は石灰岩の地質で、人が住む場所としては最適でした。当時は「セーヌ川」の北部にもう一本川が弧を描くように流れており、「セーヌ」とその川の間が沼地になっていました。この辺りが現在の「マレ地区(Marais=沼地)」で、セーヌ北部である右岸が沼地だったため、パリの町は「シテ島」を中心として南部の左岸に広がっていきました。最初にこの地に住み始めた「パリシイ族」は「セーヌ川」で漁業をして生活するケルト系民族でした。紀元前3世紀ころのことで、パリという街の名前は彼らにちなんでいます(当時はまだパリとは呼ばれていませんでした)。その後、「カエサル」率いるローマ軍のガリア遠征により、この島は征服されローマ都市として発展していきます(当時フランス周辺はガリアと呼ばれていました)。ローマ人が住むようになってからは、「川の中の住処」を意味するラテン語で「ルテティア」(リュテスとも)と呼ばれ、この名前は4世紀頃まで使われました。ローマ人によって征服されはしましたが、先住民族であった「パリシイ人」たちも共同生活し、お互いに意見を出し合って都市建設が進んだと言われています。共同浴場はその一例です。

それから500年の月日が流れ、506年、フランク族の王「クロヴィス」がこの島を首都(シテ)と宣言したことから「シテ島」(首都の島)と呼ばれるようになります。1345年には島内に「ノートルダム大聖堂」が200年の歳月を経て完成し、街は大きな発展を見せていきます。14世紀には国王の宮殿が造られ、パリは「シテ島」を中心に発展しました。当時の豪華な宮殿の一部(円天井)はコンシェルジュリーの中で見ることができます。また、中世までは「シテ島」の西端に3つの小島がありました。その一つが「トレーユ島」と呼ばれており、のちに「シテ島」とつながり現在は「ヴェール・ガラン公園」になっています。まだこの頃はパリの「セーヌ川」には島が多く、「シテ島」の隣にある「サン・ルイ島」の近くにも「ルーヴィエ島」と呼ばれる小島がありました。こちらは19世紀半ばに埋め立てられパリ右岸の一部になってしまいました。「シテ島」を中心に発展していったパリの街ですが、中世以降は無秩序な建築と悪臭と人口密度でひどい状態になり、犯罪者の巣窟にもなりました。19世紀にその密度は頂点を迎え、大聖堂の周りにはそんな民家が密集してスラム街のような状態になっていたのです。1853年にオスマン改造により「シテ島」の一大改造が決定され、「大聖堂」・「サント=シャペル」・「コンシェルジュリー」を除くすべての建物が変えられました。そして今のような形の「シテ島」が誕生しました。
〖住所〗
Ile de la Cité, 75001 Paris
〖アクセス〗
アクセスもとても良く、島の中心部にあるメトロの「シテ駅」だけでなく、島周辺にある「ボン・ヌフ駅」・「サン・ミッシェル駅」・「シャトレ駅」などからも橋を渡って徒歩で簡単に行くことができます!
【シテ島:魅力・見どころ!】
〖ノートルダム大聖堂〗

200年近くかけて建てられた「ノートルダム大聖堂」は、2013年に850周年を迎え、外観、内観ともに息をのむ美しさ。ユネスコの世界遺産にも登録されています。長い時間パリを見守ってきた「ノートルダム大聖堂」は、フランス革命の際に一時廃墟のようになりましたが、50年ほど経ったとき、政府が大聖堂の修復を決定します。国や市民の思想の変化を丸ごと背負ってきたような建造物といえます。
【ステンドガラスで作られたバラの窓】

「聖母マリア」を暗示しているとされるバラを模したステンドガラスの窓は、大聖堂の東西に見ることができます。
【パリの中心「ゼロ・ポイント」】

聖堂正面の石畳には、そこを「ゼロ・ポイント」としたパリから各地へ向けての距離を測る拠点である丸いプレートが埋め込まれています。まさにここがパリの中心!見つけにくく、皆さん気づかずに踏んで行ってしまうようなので、注意しましょう!
【基本情報】
住所:6 Parvis Notre-Dame - Pl. Jean-Paul II, 75004 Paris,
電話番号:+33142345610
開館時間:
夏季: 4/1~9/30:10:00~18:30(7・8月の木曜、及び夏季の金・土曜は23時まで)
冬季: 10/1~3/31:10:00~17:30
休業日:1/1、5/1、12/25
料金:8,50ユーロ
入場口:大聖堂外の正面ファサードを正面に見て、左手に専用入口があります。
公式サイト:https://www.notredamedeparis.fr/

世界遺産の一部でもあるこの「サント・シャペル教会」は、行列のできる人気の観光名所で、パリ最古のステンドグラスが織り成す光の芸術は「聖なる宝石箱」と称えられるほど。国王ルイ9世がパリの権威を高めるために買い取った「キリストの聖遺物」や「王冠」などを所蔵する目的で建設されました。キリスト教が絶大な権力を持っていたこの時代、ルイ9世がキリストの聖遺物を手にすることはフランス王国がキリスト教の新たな聖地となることを意味していました

建設は1242年から1248年にかけて行われ、わずか7年間という短い期間で完成を迎えました。その後、「フランス革命」によって建物は大きな被害を受けますが、ステンドグラスだけは窓から取り外されていたために被害を免れました。そして1846年に入ると、大々的な修復作業が行われ、再びその美しい外観を取り戻しました。現在、「サント・シャペル教会」では教会内部の美しい景観やステンドグラスを見学できるほか、定期的にコンサートなども行われています。
【基本情報】
住所:10 Bd du Palais, 75001 Paris,
電話番号:+33153406080
アクセス:
「サント・シャペル教会」は、「ノートルダム大聖堂」と同じく「セーヌ河岸」にある「シテ島」に位置しています。
入場料金:
【通常チケット】:
大人:11.5ユーロ(約1,400円)
18歳未満:無料(パスポートの提示が必要です)
※18~25歳までのEU圏国籍者、身体障害者と付添い1名、失業者も無料。
営業時間:
9:00-17:00:(1月2日~3月31日)
9:00-19:00:(4月1日~9月30日)
9:00-17:00:(10月1日~12月31日)
定休日:1月1日/5月1日/12月25日
公式サイト:http://www.sainte-chapelle.fr/

「コンシェルジュリー」とは、旧王宮の司令官「守衛(コンシェルジュ)」がいた場所を指し、元々は14世紀に建てられた王宮の一部で、3つの塔と3つの大広間からなる建物です。「コンシェルジュリー」の建物の起源は古く、「コンシェルジュリー」が「シテ宮殿」と呼ばれていた中世フランス「カペー朝(987年〜1328年)」時代まで遡ります。「カペー王朝」の歴代国王達は、11世紀から「シテ宮殿」を権力の象徴とすべく、徐々に改修を行っていきました。この改修により、「シテ宮殿」に参事院と呼ばれる法機関や、役所などが設立されました。13世紀に入り、「ルイ9世」によって「シテ宮殿」の南側に「サント・シャペル」が建設されると、14世紀には、「端麗王」と呼ばれた「フィリップ4世」によって、最高裁判所も追加されます。14世紀後半に入り、時の国王「シャルル5世」が、居城を「サンポール宮殿」に移すと、「シテ宮殿」の管理は「コンシェルジュ」と呼ばれる管財人に一任される様になります。

これにより、「シテ宮」に牢獄が整備され、司法業務が一層強化されていきます。フランス革命時は、主要な牢獄の一つとして4000人もの人間が収容されました。収監された囚人の中で最も有名な人物が「マリー・アントワネット」です。「コンシェルジュリー」は「アントワネット」が生前の最後に収監された牢獄となりました。現在、「コンシェルジュリー」は有料の観光スポットとなっています。館内では、かつての牢獄や食堂などを見学できるほか、フランス革命時代の資料や歴史映像を楽しむ事ができます。
【基本情報】
住所:2 Bd du Palais, 75001 Paris,
電話番号:+33153406080
アクセス:
【メトロ】:
最寄り駅はメトロ4号線「シテ駅(Cité)」、メトロ1,4,7,11,14号線「シャトレ駅(Châtelet)」。「シテ駅」からは、「シテ島」の裁判所を周って徒歩約4~5分で到着します。「シャトレ駅」は、「セーヌ河」の対岸にある駅で、「サン・ジャック」の塔近くのタバコ屋さん向かい当たりの出口からでるのがおすすめです!「ノートルダム橋」を渡って徒歩約5~6分で到着します。橋からの眺めも綺麗で、どちらも「コンシェルジュリー」から近いので便利です!
【RER】:
B線・C線「サン・ミッシェル-ノートルダム駅(Saint-Michel – Notre-Dame)」または「サン・ミッシェル駅(Saint-Michel)」。「セーヌ河」を挟んだ対岸にあり、B線とC線で少し駅名が異なりますが、同じ駅です。「サン・ミッシェル橋」の前に出るので、橋を渡ってまっすぐ歩いていくと約3分で着きます。
【バス】:
・21,38,47,85,96番「シテ–パレドゥジャスティス駅(Cité – Palais de Justice)」で下車。
・24,27番「サン・ミッシェル(Saint-Michel)」で下車。
・38,67,69,70,72,74,75,76,96番「シャトレ(Châtelet)」で下車。
いずれも停留所から下車して徒歩約1,2分になります。
入場料金:
【通常チケット】:
・大人:9.5ユーロ
・18歳以下:無料
・オーディオビジュアルガイド「HistoPad」のレンタル料金:5ユーロ
【セット料金】:
・コンシェルジュリー+サント・シャペル入場セット:17ユーロ
・コンシェルジュリー+サント・シャペル入場+HistoPadセット:22ユーロ
営業時間:9:30-18:00
※最終入場時間 17:00
定休日:5月1日/12月25日
公式サイト:http://www.paris-conciergerie.fr/
〖ヴェール・ギャラン公園〗

「ヴェール・ギャラン公園」は二辺が「セーヌ川面」している三角形の小さな公園。ここから「セーヌ川」の遊覧船に乗ることもでき、大人の旅行といった雰囲気のある場所です。
【シテ島の西端にある柳の木】

恋人同士で歩いてみるのも素敵で、シテ島の船首のような公園の先端で、あの有名な映画の真似をしてみるのもよい思い出になるかもしれませんね!大変ロマンティックな場所であることからか、「ヴェール・ギャラン」を日本語訳すると「女たらし」という意味になります。公園に入るために通る「ボンヌフ橋」の中ほどに、アンリー4世の騎馬像があり、彼のあだ名からこの名前がつけられたようです。
【パリで現存する最古の橋「ボンヌフ橋」】

「ポンヌフ橋」は、フランス語で「新しい橋」を意味しますが、16世紀から17世紀にかけて建設された、パリで最も古い橋になります。南側には左岸から「シテ島」までのアーチが5つ、北側には右岸から「シテ島」までアーチが7つのこの橋は、全長約238m、幅22mあり、初めて1本の橋が右岸と左岸をつなげたと話題になりました。もともとは「アンリ3世」の時代(1578年)に「アンドルエ・デュ・セルソー」の設計により礎石ができましたが、王の暗殺により工事は中断し、橋の完成は次の国王「アンリ4世」に引き継がれました。パリで最初の石橋だった「ポンヌフ橋」は「橋の上に建物がない初めての橋」でもありました。当時のパリの橋はどれも建物がたくさんひしめき合い、橋の上で生活をしている人がたくさんいました。

今まで橋の上はびっしりと立ち並ぶ家の陰で薄暗く光が差さないことが普通だったため、「ポンヌフ橋」の上から見る「セーヌ川」の明るく美しい眺めはパリの人々にとって全く新しいもので、橋の上の半円状の場所には多くの見世物小屋や露店、膏薬売り、大道芸人、手品師、香具師、力自慢、そして人ごみに乗じたスリまでもが集まり、多くのパリ市民で賑わいを魅せました。1855年にセーヌ県知事「オスマン」によるパリ改造の一環として橋の上のお店の撤去が行われ、そのお店がセーヌ河岸に移動し現在のパリの風物詩ブキニストの前身になったといわれています。
【基本情報】
住所:Pont Neuf, 75001 Paris
アクセス:地下鉄7号線「ポンヌフ(Pont Neuf)駅」から徒歩1分。

いかがでしたでしょうか。
「シテ島」人気の観光スポットは待ち時間が発生することもあるので、時間に余裕をもって行きましょう!また、「シテ島」には観光スポットだけでなく、ショップやレストランも沢山あるので、疲れたら休憩をはさみながら散策してみてください!
【基本情報】
シテ島
住所:Ile de la Cité, 75001 Paris
アクセス:
アクセスもとても良く、島の中心部にあるメトロの「シテ駅」だけでなく、島周辺にある「ボン・ヌフ駅」・「サン・ミッシェル駅」・「シャトレ駅」などからも橋を渡って徒歩で簡単に行くことができます!
※記事内容は執筆時点のものですので、最新の内容をご確認ください。
#France #フランス #Paris #パリ #シテ島 #サント・シャペル教会 #SainteChapelle #ステンドグラス #教会 #コンシェルジュリー #Conciergerie #ポンヌフ橋 #PontNeuf #ランドマーク #礼拝堂 #セーヌ川 #建築 #歴史 #photo #Europe